東上沿線 車窓風景移り変わり 第31号
No.35 北池袋駅前の石碑(2002/11/7 記)
一昨年の晩秋、北池袋駅周辺を探索したときに気になったものがありました。それは駅の改札を出て、踏切を渡る手前の横断用歩行者トンネル入口の外壁と背中合わせに立っている小さな石碑です。
前回訪れたときは、夕方になって植え込みに隠れるように立つ石碑の碑文が読めず、そのままにしておいたのですが、どうも気になるので先日なんとか時間を作りだして見てきました。
踏切待ちの人の目が少し気になりましたが、植え込みの中に入り込んで石碑の碑文をメモしてきました。以下はその報告です。
この碑は北池袋駅の開設を記念して、昭和26年11月11日に建てられたものでした。
正面には「北池袋駅開設記念碑」と刻まれ、脇に「東武鉄道株式会社社長 根津嘉一郎書」とあります。裏面には「北池袋駅の縁起」という題で以下のように刻まれています。
北池袋駅の縁起
この駅はもと東武堀之内と呼ばれていた。東武堀之内駅は東上線が池袋・志木間の複線工事を施行した際新設されたもので、当時田中初太郎氏を会長とする東武堀之内駅設置期成同盟会が専ら奔走尽力せられ昭和九年五月一日に開業式が挙行せられている。この駅は昭和二十年四月十三日の大空襲によって灰燼に帰し附近一帯も亦焼野原となった。爾来同年八月十五日終戦を迎えてより五星霜この地の復興目ざましく、漸次大池袋の北門たるの様相を呈して来たので地元の長老浦辺佐太郎氏は有志を謀って駅復活助成会を結成してこれが再興に尽瘁せられ遂に昭和二十六年九月一日北池袋駅の再開を見るに至った。ここに北池袋駅の由来と再開功労者の氏名を勒して将来に告げんとするものである。

昭和二十六年十一月十一日

東武鉄道株式会社
東上業務局長
井上隆根撰
塩原文平書 

東上線北池袋駅復活助成会 
会長 浦辺佐太郎
副会長 外川太郎
(以下14名の会員氏名は略)

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(旧漢字を新字体にあらためた以外は原文のまま)
ここに刻まれているように北池袋駅は昭和9年(1934年)5月1日に東武堀之内駅として開業しました。「堀之内」とはこの辺一帯の小字で昭和30年代まで旧町名として使われていました。
昭和20年4月13日の空襲でこの一帯は焼け野原となり、東武堀之内駅と金井窪駅は焼け落ちたまま営業休止となります。金井窪駅はそのまま廃止となりますが、東武堀之内駅はこの碑にある通り、地元有志で組織された「東上線北池袋駅復活助成会」によって昭和26年9月1日に北池袋駅として復興したわけです。この碑は駅の復興を記念して建立されたものです。
以前に紹介した六軒町駅の碑や、鶴瀬駅の碑に較べると、戦後の建碑ということで、文体も口語調になりぐっとわかりやすくなっています。植え込みに埋もれるようにひっそりと立っているので、見落としてしまいがちですが、駅復興にかける地元住民の熱意を伝える文化財として、長く保存していきたいものです。
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