東上沿線 車窓風景移り変わり 第27号
No.30 ふじみ野今昔-地図編(2002/2/8 記)
平成5年(1993)11月15日、ふじみ野駅が開業。翌年3月には西口駅ビルI'mPLAZAが完成。アイムふじみ野という高層マンション群の建設や大井サティの開店で、この一帯も大変身を遂げました。第2号のNo.4でも触れましたが、ここで新旧の地図を使って、ふじみ野一帯の今昔をたどってみましょう。
ふじみ野は大井町と富士見市にまたがる開発ですが、駅周辺は富士見市の大字勝瀬になります。サティのほうは大井町亀久保、リズムのある一帯は現在は「うれし野」というこそばゆいような地名になっていますが、かつては大井町苗間字西ノ原という地名でした。
まず東上線の開通するはるか以前の、明治14年測量、明治20年発行の2万分の1地形図 (A) を見てみましょう。ご覧の通り人家はほとんど見当たりません。右下のほうに苗間村の集落が見える程度です。地図上では駒林村と勝瀬村が大部分を占めるのですが、集落の地区は図の右外にあって見えません。左下に川越街道が少しだけ見えます。道の両側に並木を示す小さな丸印が連なっています。この時期の2万分の1地形図(通称迅速図)には「畑」をあらわす記号がありません。畑は白地のままで表現されます。ということで、この1.5km四方はあろうかという一帯は見渡す限りの畑であったことがわかります。そして、この面影はふじみ野駅周辺開発の直前まで残っていました。
昭和45年発行の2.5万分の1地形図 (B) です。上の方から上福岡市の市街地が南下してきていますが、富士見市との境で開発が止まっています。富士見市側や大井町側は市街化調整区域であり、畑が広がっています。この状態がふじみ野周辺の開発がはじまる平成5年くらいまで続きます。地図の中央よりやや左下に+7.0と記された塚があります。これはオトウカ山(「トウカ」とは稲荷の音読み。お稲荷さんや、その使いであるキツネをさす)といわれる塚で、今までは古墳とされていましたが、最近の調査では古墳としての遺構が発見されず、ずっと後世の塚(おそらく江戸時代の富士塚か?)と思われます。このオトウカ山は現在、小公園として保存されています。
平成13年発行の2.5万分の1地形図 (C) です。中央に見えるのがアイムふじみ野のマンション群。区画整理も進み、すっかり町らしくなってきました。下の方、うれし野2丁目と書かれているあたりにアウトレットモール・リズムとリズムタワーがある一角です。本来はこの一角に駅ができるらしかったのですが、いろいろあってダメになったという噂がありますが、真偽のほどはわかりません。たしかに地図で見ると、いかにも駅前広場と駅前通りという感じがします。
(A)明治20年発行の2万分の1地形図
(2.5万分の1地図にあわせて縮小)
(B)昭和45年発行の2.5万分の1地形図 (C)平成13年発行の2.5万分の1地形図
   
このページで使用した地形図:
〔(A) 明治20年8月26日発行大日本帝国陸軍陸地測量部発行、2万分の1地形図「大井町」:明治14年測量 (c)国土地理院〕
〔(B) 昭和45年2月28日国土地理院発行、2.5万分の1地形図「与野」:大正13年測量、昭和42年改測、昭和44年修正測量(昭和44年5月撮影の空中写真、昭和44年7月現地調査) (c)国土地理院〕
〔(C) 平成13年5月1日国土地理院発行、2.5万分の1地形図「練馬」:大正13年測量、昭和51年第2回改測、平成11年修正測量(平成10年11月撮影の空中写真、平成11年7月現地調査)、平成13年部分修正測量  (c)国土地理院〕
No.31 ふじみ野今昔-写真編(2002/2/8 記、2002/2/25写真追加)
No.30では地図でふじみ野の今昔を追ってみましたが、今回は写真で追ってみましょう。じつは私もふじみ野駅開業以前の写真をほんの数枚持っていたのですが行方不明になっています。そこで、このたび本ホームページの愛読者で東上線研究家のサヤ8001さんとKRさんの写真をご提供いただき、ここに掲載させていただきます。1985年撮影の写真はKRさん、1992年12月26日撮影の写真はサヤ8001さん、2002年2月1日撮影の写真は本サイトの管理者のものです。サヤ8001さんKRさんにはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。 
▲ 写真-1(1992年12月26日撮影) ▲ 写真-2(2002年2月1日撮影)
まずは(写真-1)は建設中のふじみ野駅パノラマ。南口方面から撮ったものです。左方向が上福岡、右が鶴瀬方向となります。画面右に大きな盛り土がありますが、この車窓を遮るように積まれていた盛り土は私も覚えています。現在この撮影位置からは駅を見渡すことは不可能ですので、写真-1の撮影場所よりずっと南東に寄った駅前通りから駅舎方向を見た現状(写真-2)を掲げておきましょう。
▲ 写真-3(1992年12月26日撮影)
(写真-3)はさらに工事中の駅を遠くからながめたものです。写真で駅に向かって延びる道は、現在の駅前通のさらに1本上福岡寄りの裏通りでしょう。だだっ広かった、かつての面影を残しています。
▲ 写真-4(1985年撮影) ▲ 写真-5(1992年12月26日撮影) ▲ 写真-6(2002年2月1日撮影)
(写真-4)は15年程前に撮影された開発以前のふじみ野駅西口方面から上福岡方向を見たもの。線路の両側は広大な畑が広がっていました。(写真-5)はほぼ同じ地点から眺めたところです。画面遠くに上福岡の駒林地区にあるマンションが見えます。現状は(写真-6)のようになっています。駅の裏にもマンション群が建って上福岡方面を見通すことはできません。
▲ 写真-7(1992年12月26日撮影) ▲ 写真-8(2002年2月1日撮影)
(写真-7)は駅付近に残っていたネギ畑と、遠くに見える工事中のふじみ野駅。この位置からも、現在では駅を見通すことができません。かわりに駅前通りに残る大根畑(写真-8)を撮影しました。遠くにはリズムタワーが見えます。
▲ 写真-9(1992年12月26日撮影) ▲ 写真-10(2002年2月1日撮影)
(写真-9)は工事中の駅舎付近からリズムタワーを見たものです。アウトレット・モールのほうが開発が早かったのですね。ほぼ同じ場所からリズムタワーを見たのが(写真-10)です。車と自転車であふれかえっています。東上線をまたいでいた高架道路も、手前の建物に隠れてほとんど見えなくなってしまいました。
▲ 写真-11(2002年2月1日撮影) ▲ 写真-12(2002年2月1日撮影)
というわけで、この10年ですっかり様子を変えてしまったふじみ野一帯ですが、昔の面影を残す写真を2点ほど紹介しましょう。(写真-11)は写真-8の大根畑に続く野菜畑からアイムふじみ野のマンション群をのぞんだもの。中央の並木は駅前通りです。かつてふじみ野一帯の主役だった畑は、まだひっそりと残っています。
(写真-12)はふじみ野今昔~地図編でも紹介したオトウカ山です。かつては地平線まで続くような一面の畑のまん中に、こんもりと雑木の茂った塚がぽこっとあったそうで、オトウカの由来通りキツネが棲んでいたという、じつに寂しい場所だったそうです。今は家が建ち並び、周囲はマンションの工事が盛んです。塚とその周辺は公園として整備されているので、今後も保存されて行くことでしょう。
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