東上沿線 車窓風景移り変わり 第3号
No.5 森林公園駅開業の思い出 (2000/10/9 記,2002/2/25写真追加)
私が武蔵嵐山の自宅から渋谷の大学まで通っていた昭和46年(1971)の3月に森林公園駅が開業しました。開業当日は3月とはいえ寒さの残る日、私は学校からの帰途、1人で森林公園駅で下車して、開業記念花火大会を見物しました。
花火大会といえば夏というのが通り相場ですが、春というより冬といった方がよい寒さの中、結構な人出がありました。南口をおりて、線路沿いに車両基地のある方向に向かって少し行くと、まだ開発前の荒れ地が広がっていて、そこが開業記念の花火大会会場です。打ち上げ花火が景気よく何発も上がり、仕掛け花火なんかもあったと思いますが、それ以外のことは印象に残っていません。ただ、花火がきれいだったこと、寒かったことが記憶に残っています。
森林公園の駅は無事開業しましたが、肝心の森林公園本体が開園したのは更に3年後の昭和49年(1974)のことでした。私が新入社員として入社した頃のことです。
しかし駅周辺の開発はなかなか進まず、南口などはようやく最近になって計画的な住宅開発が進んだようですが、北口は駅前広場こそ開業当時に整備されましたが、更にその周辺となるときちんとした都市計画は進んでいません。
森林公園が開業したことによって、それまで東上線の駅間最長距離だった武蔵嵐山・東松山間はその地位を武蔵嵐山・小川町間に譲り渡したのです。思えば武蔵嵐山の駅って、陸の孤島のような駅だったのですね。
今から15年程前の森林公園駅
上りホームから下り列車(特急みつみね号)を撮影。森林公園駅の橋上駅舎が開業当時のものであり、南口側の整備が遅れていたことが確認できる。2002/2/25写真追加(KRさん提供)
No.6 浜崎の森 (2000/10/9 記)
武蔵野の風景の代表格だった雑木林。さすがにこれだけ都市化が進むと川越までの区間では大規模な平地林を見ることはできなくなりました。しかしただ1カ所だけ、武蔵野の平地林の面影を残しているところがあります。上り電車が志木をすぎてすぐ、左手に村山病院、右手には住宅展示場が見えてきます。それを過ぎて間もなく、車窓両側に松を主体とする林が見えてきます。これが浜崎の森です。
志木駅間近の好条件の地域に、これだけの平地林が残っているのも奇跡に近いと思うのですが。それでも、この10年間でずいぶん面積は小さくなりました。村山病院もそれまでは浜崎の森に接していたのですが、いつの間にか住宅が開発され、住宅公園側も少し森は後退しています。
それでも、かなりの広さを維持していますが、あまり手入れはされていないので、森の中は荒れています。付近の住民からは、森の中に夜中に人が入り込んだり住み着いたりして、治安上よろしからざる影響があるというクレームも出るそうです。都市と自然の共存という点で良い例ができればいいのですが、なかなかそうはいかないようです。
私が学生になって毎日池袋まで通しで乗車するようになった昭和45年、ゴールデンウィークあけの雨の日、浜崎の森を電車で通ったとき、雨露に濡れた新緑の美しさにがらにもなく感動したことを覚えています。この浜崎の森がいつまで保存されるのかわかりませんが、できれば永遠に残って、乗客の目を楽しませてくれればと思います。
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