東上沿線コラム&情報 第5号
No.6. 晩秋から初冬への沿線風景 (2000/11/25 記)
 浜崎の森の木々もすっかり色づいてきました。猛暑の夏だったことも、今ではすっかり遠くの出来事のような気がします。先日、朝の電車が遅れ気味で、川越を出てからまもなく徐行運転。志木を過ぎると一時停車の連続で、ふだんはスピードを出して通り過ぎる景色がいやというほどゆくりと眺められました。
和光市の駅の手前200メートルくらいで前につかえた電車を待つためにしばらく停車。車窓からは、蔦が線路脇の塀にからみついているのが見えました。よく見るとその蔦には真っ赤な烏瓜がの実がなっています。烏瓜の実を見たのは実に久しぶりでした。満員電車の中から一瞬の晩秋の空気を感じることができました。
仕事を終えての帰りの下り電車で、鶴瀬の駅を通過してしばらく行くと、車窓左手にセイコーモータースクールが見えます。11月に入って、教習所のコース全体が豆電球でかたどられたアーチで美しく飾られています。校舎の壁には同じく豆電球で「ありがとう2000」と描かれていました。なんとなく年の瀬といった雰囲気が感じられます。
No.7.民家の変遷 (2000/11/25 記)
これは東上線に限った話ではないのですが、毎日車窓からさまざまな民家を眺めていての感想です。
商店ならいざ知らず、普通の町中の民家はかつては平屋が一般的でした。2階建ての民家はかなりお金持ちの家か、大家族の住宅に限られていました。一般庶民が2階屋に住むようになったのは戦後もかなりたった昭和30年代以降のことではないでしょうか。
またコンクリートの集合住宅が現れ始めるのは昭和30年代の前半からで、当初は市営住宅や公団住宅あるいは大企業の社宅などに限られていました。沿線から見られるものとしては朝霞駅の北口にある公団東朝霞団地、上福岡の霞ヶ丘団地などが上げられます。いずれも2階から5階までの造りで、エレベーターはなく階段で上がるようになっていました。 霞ヶ丘団地は2階建ての、今でいうところのテラスハウスのような造りになっていましたが、最近老朽化に伴い順次取り壊して高層化の工事が進んでいるようです。
こうした公共的な住宅以外で、コンクリートの高層住宅、いわゆるマンションが普及するのは昭和40年代に入ってからです。東上沿線の都内部分では工場の跡地にマンションが建つのが一般化しています。
戸建ての民家で最近目立つのが3階建て建築です。これもこの数年急激に普及してきたものです。それまでは木造民家で3階建てというのは、見ることができませんでした。おそらく建築の基準が緩和されたことによるのでしょう。古い民家の改築によって3階建て民家は急速に増えてきているのが車窓からもうかがえます。
東上沿線 コラム&情報 第4号へもどる 東上沿線 コラム&情報 第6号へすすむ
トップページへもどる
inserted by FC2 system